もっと強く
先日、兵庫県明石市まで父方の祖父に会いに行った。
祖父は大正生まれの85歳。
海の近くで祖母と共に呉服屋を営んできた。
何というか、昔の人そのもので、
少し頑固なところもあるが、礼儀を重んじるそんな人であった。
祖父は、病院のベッドの上にいた。
数年前に骨折して以来、身体も少しずつ弱くなり、
痴ほう症も進んでいるようで、すっかり痩せてしまっていた。
いろんな管につながれ、
苦しそうに息をする以外、身動きひとつしない祖父の姿に、
正直、声が出なかった。
痴ほう症については、よく知らないが、
やる気というか気力がなくなっていく病気のようで、
ついには、生きる気力も失ってしまう。
ただベッドの上に横たわり、うつろに目をした祖父を見て、
人はこうまでして生きなければならないのか、と
何とも言い表し難い思いにかられるのと同時に、
たったいま、こうして“普通に”生活している自分の生の在り難さを知った。
もう一つ感じたというか再認識したことがある。
それは、女性の強さである。
同行した祖母は、言葉を選んで話す医師の話を淡々と聞き、
生まれたばかりのひ孫(つまり僕のいとこの子)の写真を熱心に祖父の目の前に差し出していた。
僕が同じ立場なら、きっと何もできないだろう。
何十年も妻として夫と連れ添ってきた祖母の強さを見て、
やはり自分の未熟を知った。
帰り際、祖父の手を握ってみた。
戦争も越えてきた、大きく骨ばった男らしい手は、
きっと血の巡りが悪いのであろう、冷たく、むくんで丸くなってしまっていた。
父の実家に戻り、お夕飯を食べてから、京都に帰った。
別れ際、「礼服、用意しといてよ」と祖母が言った。
背筋を伸ばそうと思った。
ηφβμ
お年寄りはちょっとしたきっかけで体調が大きく変わります。
亡くなったうちの祖父も、道で転んだ以来、坂道を滑り降りるみたいに弱っていきました。
誰もが辿る道だと理解して、そうなる前に何をやるべきかを考えることが大切だと思いますよ。