忘れた頃にやってくる

by mとk on 2012/02/01, 12:58

修論(仮)をもうすぐ提出する(はず)なので、解放感でなんか書いておきます。



つい先日、修士論文執筆というつらい作業を終えて帰宅すると、机の上に 1 通の郵便物が置かれていました。

携帯料金など以外で郵便物が届くのは珍しいので、とりあえず差出人を見てみると京都府になっています。

何だろう?、と思って封筒を開いてみると、「平成 23 年分の支払調書」とかいうのが入っていて、更に「?」が募ります。それによると私は京都府から「原稿料・放送謝礼等」という名目でお金を受け取ったことになっていました。

去年何かあっただろうか?

さっぱり覚えがなかったのですが、封筒の表にうっすらと「学校教育課 企画振興担当」という判子が押されていて合点がいきました。



去年、2011 年は言うまでもなく東日本大震災があった年です。個人的には、就職活動という大きな関門があった年でした。地震の影響で工場見学が中止になったりして、やきもきした時期が長かったのを覚えています。

その就職活動が本格的に動き始めた時、すなわちちょうど 1 年前の 2011 年 1 月某日、私は京都府のある小学校にいました。

教育委員会からの依頼で、小学校に授業をしに行ったのです。





その話が最初に推進研に舞い込んだのは、2010 年 12 月のことでした。

恒例の月曜ゼミで斧先生が、6 月に帰還した小惑星探査機はやぶさに関して京都府の小中高で出前授業をして欲しいとの要請が来ている、誰か協力してもらえないか、とおっしゃられたのです。

私たちの研究室は航空宇宙工学専攻ですし、宇宙つながりで私たちに依頼が寄せられたのでしょう。京都府内にあるいくつもの学校から出前で授業をして欲しいとの申し出があったそうです。

この時 M1 で研究に心底熱心に取り組みながらも時間があった私は、なんか面白そうだなと思って即座に参加を決意しました。

就活でESに書けることが増える、なんていうのは微塵も思っていませんでした。将来ある子ども達に話す機会が与えられる。とても素敵じゃないですか。

私以外にも takamina、アマさん、師匠など、推進研だけで 6~7 人が名乗りを上げたのです。

結局、申し出のあった全ての学校に行くことはできませんでしたが、学生・教員の日程と学校の日程があったところにおのおのが派遣されることになりました。私は京都府の南にある小学校を担当することに。学校まで決まって、自然と胸が高鳴ります。



しかし、大変なのはここからでした。



私たちは航空宇宙工学専攻に属しているとは言うものの、半導体を研究しているメンバーが大半です。私も例外ではありません。突然はやぶさ、ひいては宇宙の話をしてくれと言われれば戸惑います。

依頼主である教育委員会からも、授業内容に関するバックアップはあまりなく、ほぼ自分たちで授業内容をまるごと考えなければいけませんでした。



授業時間は 45 分。聴衆が飽きないようにするにはどうしたらいいのか?



ここで、推進研のプレゼン力が試されることになりました。



事前の予習はきっちり行なって、絵を多用して、動画を使ったり、クイズを考えたり、模型を作ってみたり。

みんなが真剣に考えて、研究並みに熱心に(もしかしたらそれ以上に?)力を入れて、入念に準備したわけです。










そして迎えた当日。

小学校につくと、当然のように校長室に案内されました。母校の校長室にも入ったことないのに。

校長先生「mとk 先生は・・・」みたいに、しがない大学院生の私を先生扱いし、すごい持ち上げてきます。こそばゆい。



やっと解放され、教頭先生に連れられて向かった先は、授業場所の体育館でした。ここで大型スクリーンに PowerPoint を映し、小学 4・5・6 年生合同の授業を行うのです。



では準備が終わりましたら校長室にお戻りください、と言って教頭先生は先に戻られました。

冷たい体育館に、私ひとり。

スライドを一通り確認して、誰も席に座っていない体育館を見渡します。




この時の私は、異様な緊張感を抱いていました。




すでに出前授業を終えた方々は全国紙の記事になっていました。そして、さっき校長室にも記者の方が来ていて私の名前やら何やらを聞き出してメモしていました。



ひょっとして俺も・・・



ドキドキ・・・







一度校長室に戻ったあと体育館に向かうと、今度はたくさんの子供から拍手されながらの入場でした。

これもなかなか無い経験です。

パソコンの前に立ち、照明が落とされて、授業の開始です。



私から多大な労力を吸い取って行った 48 枚のスライドでした。

クイズに正解して喜ぶ子。

三山木にイトカワを落下させるスライドで「学校が・・・」とつぶやいた子。

デジタル宇宙ビューワー「Mitaka」の映像に歓声を上げる子。


正直何を話したのかほとんど覚えていないのですが、予想以上に真剣に聞いてくれて、安心しました。



授業後、子供たちから花束を受け取り、私の役目は無事終わりました。







子供たちよ、大志を抱け!

と当時の私は思ったはずです。たぶん。












翌日、研究室のパソコンの前に座ってふぅと一息。





いざニュース検索!





・・・0 件ヒット!





・・・あーあ、何だったんだあの記者さんは!










しかし、それから月日が流れ、2 月下旬。



もはや出前授業が記憶の奥深くに行こうとしていた時です。



研究室にでかい封筒が届きました。何だろう?、と思って見てみたら、私が出前授業をした小学校からです。

中には私の授業中の写真、子供たちの感想文、そして私の記事が載ったローカル紙でした。



どうやら地元紙の片隅に乗るくらいの働きはできたらしい。



全国紙デビューはできませんでしたが、残念に思う気持ちは子供たちの感想を一枚一枚眺めているうちに、消えてしまいました。











1 か月後と 1 年後、まるで反復学習のように、忘れた頃に届く郵便物が記憶を呼び覚ます、思い出深い経験です。

こう何度も思い出すと、長いこと忘れることができなさそうですね。



みなさんも機会があったら、こういう課外活動にぜひ参加してみてください。


7 Comments

takamina
2月 1, 2012 at 15:58

副担の先生が可愛かったことは、いい思い出
それにしてもスライド48枚とは多すぎワロタ


 
ぷるつー
2月 1, 2012 at 16:40

開放感マジパネェwwww


 
ぷるつー
2月 1, 2012 at 16:41

開放感マジパネェwww


 
ぷるつー
2月 2, 2012 at 01:07


 
アマ
2月 2, 2012 at 09:17

貴重な体験だったよね。子供たちかわゆす(*´ω`*)


 
seraph
2月 2, 2012 at 18:15

師匠…?
ああ、このコメント書いてる途中にわかった。


 
ηφβμ
2月 5, 2012 at 23:26

Pさんのことですね^^


 

© Students of the Propulsion Engineering Laboratory, Kyoto University.